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名古屋地方裁判所 昭和54年(ワ)448号 判決 1980年2月29日

原告

鈴木美代子

被告

横峯正裕

ほか一名

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金一三八万一、四二九円及びこれに対する昭和五一年三月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余は被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当時者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告に対して、金三一二万六、七七三円及びこれに対する昭和五一年三月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五一年三月三一日午後七時ころ

(二) 場所 愛知県刈谷市広小路一丁目六番地先交差点

(三) 加害車 普通乗用車(三河五五も一〇六九号)

右運転者 被告横峯正裕(以下単に「被告横峯」という。)

(四) 被害者 原告

(五) 態様 原告が同乗し、鈴木学が運転する車両(三河五六そ九九六二号)が、現場交差点を西方から南方へと右折進行していたところ、同車左側部中央付近に、時速六五キロメートル以上の高速で同交差点を東方から西方へ直進通過しようとした加害車の前部が激突したため、原告は受傷した。

2  受傷、治療経過等

(一) 受傷 頭部打撲傷、脳震盪、顔面多発性挫裂滅創、骨盤骨折、左大腿頸部骨折、右膝部等挫傷創等

(二) 治療経過

入院 昭和五一年三月三一日から同年一二月三〇日まで(二七五日)

昭和五二年六月二九日から同年七月二九日まで(三一日)

同年一一月二日から同月八日まで(七日)

通院 昭和五一年一二月三一日から昭和五二年六月二八日まで(実日数一二四日)

同年七月三〇日から同年一一月一日まで(同五九日)

同年一一月九日から昭和五三年八月一日まで(同一二四日)

(三) 後遺症

骨盤変形、左下肢短縮、左膝関節運動制限、顔面瘢痕、変形骨盤(昭和五四年一月二〇日症状固定、併合により自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」と略称し、同法に基づく責任保険を「自賠責保険」と略称する。)施行令別表一一級に該当する。)

3  責任原因

(一) 被告内田國光(以下「被告内田」と略称する。)は、本件事故当時、加害車を所有し、加害車を自己の使用人である被告横峯に運転させるなどして、自己のために運行の用に供していた。

(二) 被告横峯は、本件事故現場の交差点に進入するに際し、付近の制限速度時速三〇キロメートルを著しく超過する時速六五キロメートル以上の高速で走行したうえ、対向して同交差点へ進入しようとする原告同乗車の動静注視を怠つて漫然と進行した過失により本件事故をひき起こした。

4  損害

(一) 入院雑費 金一六万五、五〇〇円

入院中九〇日について一日金六〇〇円の割合による金五万四、〇〇〇円とその余の二二三日について一日金五〇〇円の割合による金一一万一、五〇〇円との合計金一六万五、五〇〇円

(二) 通院交通費 金八万五、九六〇円

通院実日数三〇七日につき一日金二八〇円の割合による合計金八万五、九六〇円

(三) 休業損害 金三〇〇万二、〇八七円

原告は、本件事故当時、刈谷市立幼稚園の教育職員として勤務し、年間金一六二万八、一一二円の収入を得ていたが、本件事故のため昭和五一年四月一日から昭和五四年一月一九日まで休業を余儀なくされ、その間に金四五六万七、七五八円の収入を得べかりしところ、休業期間中に勤務先から実際に支給を受けたのは金一五六万五、六七一円にとどまつたため、その差額金三〇〇万二、〇八七円の収入を失つた。

(四) 後遺症による逸失利益 金七三六万二、六四八円

原告は、前記後遺症障害によりその労働能力を少なくとも二〇パーセント喪失したが、原告の就労可能年数は昭和五四年一月二〇日の症状固定時から四三年間と見られるから、原告の将来の逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると金七三六万二、六四八円となる。

(五) 慰藉料

(1) 入通院分 金三〇〇万円

(2) 後遺症分 金二〇〇万円

5  損害の填補

原告は次のとおり支払を受けた。

(一) 自賠責保険金 金四四八万円

(二) 鈴木学ほかからの賠償金 金三九〇万円

6  よつて、原告は、被告ら各自に対し、本件事故による残損害金七二三万六、一九五円の内金三一二万六、七七三円及びこれに対する不法行為の日である昭和五一年三月三一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)ないし(四)の事実は認めるが、(五)の事実は否認する。

2  同2の各事実はいずれも知らない。

3  同3の(一)の事実は否認する。被告内田は加害車の訴外人から被告横峯への売却に関与したのみで、これを所有したことはない。

同3の(二)の事実は否認する。

4  同4の各事実はいずれも知らない。

第三証拠〔略〕

理由

一  事故の発生

1  請求原因1の(一)ないし(四)の事実は当事者間に争いがない。

2  いずれも成立について争いのない甲第四ないし第六号証、乙第一、第二号証、弁論の全趣旨に前記1の当事者間に争いのない事実を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)  本件事故は、昭和五一年三月三一日午後七時ころ、愛知県刈谷市広小路一丁目六番地先の信号機による交通整理の行われている交差点において発生した。

現場交差点において東西に延びる県道半田知立線と南北に通ずる刈谷市道とが交差していた。県道半田知立線は歩車道の区別があり、車道の幅員は約六メートルであつたのに対し、刈谷市道は、右交差点より南側では歩車道の区別があり、車道の幅員は約九メートルであつたが、同交差点より北側では歩車道の区別がなく、幅員は約四・五メートルであつた。同交差点に接して、南西南北にそれぞれ横断歩道が設けられていた。

現場付近は、交通ひんぱんな市街地で、見通しが良く、夜間も明るい場所であつた。

付近路面は、舗装され、平たんで、事故当時乾燥していた。

現場付近においては、最高速度を時速三〇キロメートルに制限する交通規制が施されていたほか、追い越しのためのはみ出し及び駐車が禁止されていた。

(二)  鈴木学は、普通乗用自動車(三河五六そ九九六二号、以下「甲車」という。)に原告を同乗させ、県道半田知立線東進車線上を西から東べ時速約三〇キロメートルの速さで走行して現場交差点手前にさしかかつた。鈴木は、時速約一五キロメートルまで減速したのち、同交差点で右折しようと考え、同交差点の西側横断歩道西端から約二〇メートル西方の地点まで至り、方向指示器により右折の合図をしたうえ、対面信号機の表示が青であることを確認した。同人は、同横断歩道西端上付近まで進行して進路前方約八六メートルの位置に対面進行して来る被告横峯の運転する普通乗用自動車(三河五五も一〇六九号、以下「乙車」という。)を発見したが、同車より先に右折できると判断して、時速約五キロメートルの速さで右折を開始した。同横断歩道西端から東方へ約四・九メートル、県道半田知立線車道北端から約三・八メートルそれぞれ隔てた地点まで至り、鈴木は、乙車との衝突の危険を感じたが、一時停止の措置を取ることなくそのまま進行を続けたところ、県道半田知立線の同交差点より西側部分の車道南端線の延長線上で、同交差点西側横断歩道に付設された信号機の北東約一〇・二メートルの地点(以下「衝突地点」という。)で、自車左側部と乙車前部とを衝突させた。原告は右衝突の結果受傷した。

(三)  被告横峯は、乙車を運転して、県道半田知立線西進車線上を東から西に向けて時速約八〇キロメートルの速度で走行して現場交差点手前にさしかかつた。同被告は、同交差点の対面信号機が青であることを確認したのち、時速約六五キロメートルまで減速したところ、進路の数十メートル前方の同交差点西側横断歩道上付近に右折合図のうえ右折進行して来る甲車を発見した。しかし、甲車が右折車であつたことから、同被告は、自車の通過を待つてくれるものと考えて、そのままの速度で進行を続けた。同被告は、自車と甲車との距離が三、四十メートルにまで接近して、衝突の危険を感じ、急制動の措置を取つたが間に合わず、衝突地点において前記のとおり、自車を甲車と衝突させた。乙車の右急制動の結果、路面上に、左右各約一八・八メートルの制動痕が印象された。以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

二  受傷、治療経過等

原告本人尋問の結果により真正な成立を認めることのできる甲第八号証の二、同尋問の結果によれば、請求原因2の(一)及び(二)の事実並びに原告について昭和五四年一月二〇日ころ、骨盤変形、左下肢短縮、左膝関節運動制限、顔面瘢痕の症状(併合により自賠法施行令別表一一級相当)が後遺症として固定したことを認めることができる。

三  責任原因

1  被告内田について

(一)  いずれも成立について争いのない甲第一ないし第三号証、乙第一号証、証人川口眞廣の証言、被告横峯正裕、同内田國光の各本人尋問の結果(但し、被告横峯正裕、同内田國光の各本人尋問の結果中後記採用できない部分を除く。)によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 被告内田は、大栄自動車という営業名の下に、妻のほか従業員一、二名を用いて、自動車の修理、販売、保険代理を業とする者であり、被告横峯は、昭和五〇年年末ないしは昭和五一年初めころから昭和五四年一月まで被告内田に雇われ、自動車販売の仕事を担当していた者である。

(2) 前記乙車は、もと有限会社川口屋酒店の所有に属していたが、昭和五一年三月上旬売買の話がもちあがり、同月二五日、代金授受をして、同会社から被告内田に売却された。

(3) その後、被告内田は、さらに、乙車を所有権留保のまま被告横峯に割賦販売し、同被告がこれを使用するようになつたのち、同月三一日本件事故が発生した。

(4) 右の被告内田から被告横峯への売買は、正式の契約書の作成もされず、割賦代金の支払も被告横峯の給与から天引され、買主の被告横峯でさえ代金の支払状況を確知しえぬなど条件がきわめてあいまいであつた。

(5) 乙車の自動車登録上の所有者名及び使用者名は、同月三一日、本件事故の発生前にいずれも右有限会社から被告内田に変更登録された。所有者名が被告内田名義とされたのは、右(3)の売買の際同被告に所有権留保されていたためであり、使用者名は被告横峯名義とした場合車庫証明を得られないことから便宜上被告内田名義としたものであつた。

(6) 被告横峯は、乙車の購入前より被告内田から自動車を割賦販売の形式で購入していたが、これらの自動車は、被告内田の営業所への通勤に用いたほか、ときには被告内田の業務のため外出する際にも使用していた。なお被告内田の営業所には駐車場が付設されていた。

(7) 被告横峯は、本件事故当日、被告内田の営業所での仕事を終えたところ、友人で被告内田の顧客の上野治郎がその使用車両の修理のため同営業所を訪れていたので、帰路が同一方向であつたことから、同人ほか一名を乙車に同乗させて送つて行く途中で、本件事故をひき起こした。

以上の事実を認めることができ、被告横峯正裕、同内田國光の各本人尋問の結果中右認定に反する部分はいずれも前掲各証拠と対比して採用できない。

(二)  前記(一)において認定した事実によれば、乙車の自動車登録上の所有者名及び使用者名は被告内田の指示又は少なくともその了解の下に同被告名義でなされたこと、被告横峯は乙車で被告内田の営業所に出勤したのち帰宅するまで、同車を同被告方に付設された駐車場に駐車保管していたことをそれぞれ推認することができ、右推認に反する証拠はない。

(三)  前記(一)及び(二)における認定事実によれば、乙車は、本件事故当時、既に被告内田から被告横峯に所有権留保のまま売却ずみであつたことが明らかであるが、他方、被告内田はきわめて小規模な個人企業主で、被告横峯のほかには従業員もほとんど数えるほどしかなく、両被告の間には濃い人的関係があつたこと、そのことから乙車の売買条件も相当あいまいであつたこと、事故当日被告内田の了解の下に同被告の名で乙車の所有者使用者の自動車登録がされたこと、被告横峯による乙車の使用保管状況は被告内田の営業と断ちがたい関連を有しており、本件事故も被告横峯が被告内田の営業所を訪ねた顧客を同乗させて同所から送つて行く途上において発生したことも、それぞれ明らかにされている。

以上によると、被告内田は、乙車の運行を事実上支配管理することができ、社会通念上乙車の運行が社会に害悪をもたらさないよう監視すべき立場にあつたと評価されるから、自賠法三条所定の自己のために自動車を運行の用に供する者として、本件事故による原告の損害を賠償する義務がある。

2  被告横峯について

前記一の2における認定事実によれば、甲車を運転していた鈴木に右折車の運転者として直進車の進路妨害の過失があることは明らかであるが、被告横峯も、制限時速三〇キロメートルをはるかに超える時速約六五キロメートルで進行したうえ、現場交差点手前で対向車線上に右折合図のうえ右折進行して来る甲車を発見しながら、直ちに速度を減速し、甲車の動静を注視して走行すべき義務を怠り、漫然と進行した過失があることは否定できないから、同被告は鈴木とともに共同不法行為者として原告の本件事故による損害を賠償する義務がある。

四  損害

1  入院雑費 金一六万五、五〇〇円

原告が三一三日間入院したことは前記二のとおりであり、右入院中九〇日について一日金六〇〇円の割合により、その余の二二三日について一日金五〇〇円の割合による合計金一六万五、五〇〇円の入院雑費を要したことは経験則上これを認めることができる。

2  通院交通費 金八万五、九六〇円

原告が実数で三〇七日通院したことは前記二のとおりであり、右通院一回につき往復金二八〇円の通院交通費を要したことは原告本人尋問の結果により明らかであるから、原告の要した通院交通費は合計金八万五、九六〇円となる。

3  休業損害 金二二三万三、二五七円

原告本人尋問の結果により真正な成立を認めることのできる甲第九、第一〇号証、弁論の全趣旨により真正な成立を認めることのできる甲第一一号証、原告本人尋問の結果に前記二における認定事実を総合すれば、原告は、本件事故当時愛知県刈谷市立幼稚園に保母として勤務し、昭和五一年四月から(但し同月に遡つて同年一二月実施)一か月当り給料金八万七、〇〇〇円、調整手当金六、九六〇円、住居手当金一、〇〇〇円、合計金九万四九六〇円の収入及び年間賞与合計金四八万八、五九二円、年間総計で金一六二万八、一一二円の収入を得るはずになつていたところ、本件事故のために昭和五一年四月一日から昭和五三年八月一日まで就業できない状態に置かれたことが認められる。

右期間中に原告の得べかりし収入は、次式のとおり金三七九万八、九二八円となる。

162万8112円÷12×(12×2+4)=379万8928円

ところで、原告は、休業期間中に勤務先から金一五六万五、六七一円の支給を受けたことを自認するので、これを右金額から控除すると、原告の休業損害は金二二三万三、二五七円となる。

4  後遺症による逸失利益 金四二一万六、七一二円

原告本人尋問の結果に前記二において認定した原告の受傷、後遺症障害の部位程度を総合すると、原告は、昭和二九年一二月一三日生まれで、後遺症の固定した昭和五四年一月二〇日から四二年間就労可能であるところ、前記後遺症障害のため、その労働能力を右固定時期から一〇年間は二〇パーセント、その後一〇年間は一〇パーセント、さらにその後の二二年間は五パーセント、それぞれ喪失するものと認められるから、前記3において認定した年収額を基礎として、原告の後遺症による逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、次式のとおり金四二一万六、七一二円となる。

162万8112円×{0.2×7.9449+0.1×(13.6160-7.9449)+0.05×(22.2930-13.6160)}=421万6712円

5  慰藉料 金三〇六万円

本件事故の態様、原告の傷害の部位程度、治療の経過、後遺症の内容程度、前記のとおりの鈴木の過失、原告と鈴木との関係その他諸般の事情を考えあわせると、原告の慰藉料額は金三〇六万円とするのが相当であると認められる。

6  合計 金九七六万一、四二九円

以上1ないし5の各損害額を合計すると、金九七六万一、四二九円となる。

五  損害の填補

請求原因5の事実は原告において自認するところであるから、填補額合計金八三八万円を前記四の6において得られた損害の合計額から控除すると残損害は、金一三八万一、四二九円となる。

六  以上のとおりであつて、原告の本訴請求は、被告ら各自に対し、本件事故による損害金一三八万一、四二九円とこれに対する不法行為の日である昭和五一年三月三一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 成田喜達)

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